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| 第 1 次 広 島 け ん 銃 事 件 |
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呉 け ん 銃 事 件 |
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| 広島市内は焼け野原のなか,金がない,食うものがないといった状況下で必然的に盗難が横行し,市周辺部には旧軍需物資が管理されないまま放置され,これを狙う悪徳ブローカー,チンピラ,復員くずれ,ぐれん隊などが入り込み次第に組織化された。 |
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呉市は海軍の町として栄えたが,戦後は一転焦土と化し,道義の退廃,朝鮮動乱時には戦場帰りの兵士の乱行など,呉市民は物心ともに痛手を受けていた。 |
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| このような治安情勢のもと,列車警備等を名目に,博徒のOが警備に名を借り,巧みに広島駅付近一帯を勢力下に収めた。 |
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このような社会背景をもとに台頭してきたのが呉の暴力団であり,戦前からの博徒集団であるTO組と,戦後台頭したKH組が必然的に勢力拡大のため抗争を繰り返すこととなった。 |
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| 一方,SN会AT一家の流れをくむ的屋Mは,広島駅付近のブラックマーケット界隈の統制,整理を名目にM組を結成し勢力を伸ばしていった。 |
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そして,TO組がKH組の組長の片腕を切り落とすという襲撃事件を発端に,昭和27年TO組組長が射殺されるまで,6次にわたり,報復の繰り返しが行われた。 |
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互いに隣接する縄張りのため,小競り合いは絶えなかった。
そして昭和21年M組組員がO組事務所に殴り込みをかけたことに端を発し,昭和29年まで20回にわたる血みどろの抗争事件を繰り返し,「暴力の町広島」を天下に曝すこととなったものである。 |
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然し,一旦は終息しかけた抗争も,KH組の兄弟組YM組の組員がTO組の残党と結合し再び5次にわたる血の抗争を再発させたものである。 |
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| 第 2 次 広 島 け ん 銃 事 件 |
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備 後 け ん 銃 事 件 |
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| 第1次けん銃事件後,O組が県下随一の勢力を誇示することとなり,広島市西部を中心に台頭してきたUK組,呉を制したYM組は互いに兄弟盃を交わした。 |
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備後の工業地帯である福山市及び府中市では,戦後早くから福山市にYD組・SD組・TG組,府中にSH組・HD組などが台頭し,パチンコ店のカスリや競馬をめぐって利権争いが生じつつあった。 |
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| その後YM組は広島進出を図り,市内のキャバレーを買収し拠点とした。一方UK組はO組・YM組への牽制として,神戸のYG組の舎弟になるべく画策を行っていたが,「広島は広島の博徒で治める。よそ者を入れてはならない。」という,O組・YM組の反対にあい一応断念した。 |
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最初の激突は,昭和29年福山市内でYD組組員がTG組組長を刺殺した事件であるが,両組はそのため四散,分散化した。この時SD組がまたたく間に中心勢力にのし上がったが,出所後YN組を結成しSD組と対立した。 |
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| ところが,昭和37年O組組長が「侠道一代限り」と声明し,O組を解散,組員をYM組に預けたため,UK組はYM組に抗すべく神戸YG組の舎弟となり,UK会と名を改めた。一方YM組も対抗し神戸HD会と「親戚付き合い」とし相対峙することとなった。 |
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このような一発触発情勢である昭和29年府中市内の映画館においてHD組組員が,SH組組員に狙撃されるという事件が発生し,これを引き金に府中市内で4件,福山市内で2件の殺傷事件が発生した。 |
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| 両組が対峙するなか,昭和38年呉市においてUK会系MN組幹部がYM組幹部に射殺され,第2次広島けん銃事件が再発した。その後十数次にわたる,けん銃・ダイナマイト使用などの執拗な報復は死者9名,負傷者13名,逮捕者168名という陰惨の抗争事件に発展し,その規模は神戸YG組本拠まで爆破襲撃するありさまであった。 |
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| 第 3 次 広 島 け ん 銃 事 件 |
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今後の暴力追放活動に向けて |
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| 昭和39年5月YM組は7団体600人にのぼる「KS会」を結成した。これに対抗しUK組は神戸YG組との連携の強化を図った。そして三度抗争が発生したのが第3次広島けん銃事件である。 |
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第3次けん銃事件では,2名の警察官が殉職しています。
我々はこの抗争の最後の頃に警察官になりました。
事件のあらましは知っており,暴力団の本質もそれなりに理解しています。
このページは,これからの警察官に知ってもらいたく掲載したものです。
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| 昭和39年8月31日,広島市流川のキャバレー前において,KS会幹部の配下がUK組組員にけん銃を乱射され1名即死,1名は重傷という事件が発生した。その後呉市内で2件の殺人事件等が発生したが,徹底した壊滅作戦と暴力追放の世論のまえに,昭和42年KS会は解散を声明した。 |
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事件を発生させないのがベストですが,広島県の治安維持のため寝食を忘れて捜査,警戒活動に努め,犯人を検挙した諸先輩の背中を見て,我々も頑張らせていただきました。
また,地域の方にもよく支援して頂いたからこそだと感謝しています。 |
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然し,KS会は再び結成され,表面上抗争件数は激減したものの,発砲事件は未だに発生している。
また,時代とともに犯罪のタイプや質が変化し,犯罪の潜在化,合法を装ったものが増加している。 |
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これからは,犯罪の国際化・凶悪化が進み,捜査活動は非常に困難になると予想されます。
未だ未解決事案も多々あり,安穏とした勤務態度は許せません。
県警が一丸となり地域の安全を守り,速やかな事件解決が一層求められる時代です。
今後は地域住民と協働した「安心・安全なまちづくり」に努めるとともに,県民に信頼され,期待される広島県警を目指して力強く前進しましょう。 |
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